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ここまでエンターテイメント?【子連れ狼】

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DVD BOOKで萬屋錦之介版の『子連れ狼』(全3巻)を購入した。
TV版『子連れ狼』は1973年から1976年に渡り、3部構成で放映された。


原作は劇画で、小池一夫原作・小島剛夕作画のヒット作品で1970~1976まで「漫画アクション」に連載された。
本作は、最初、若山富三郎が映画化し、拝一刀を演じた。
TV化で萬屋(中村改め)が拝一刀を演じることが発表された時、若山は激怒し、真剣で萬屋と勝負してやると怒鳴り込もうとしたらしい。
その後、プロダクションの交渉の結果、TV版にも勝プロが深く関わる権利を得ている。

今回購入したDVDは、1巻ごとに第1~3シリーズの画像入り解説特集で、付録のDVDには各シリーズから各4話(初回と最終回含む)ずつが収められている。
著作権の関係からか、第1~2シリーズのオープニングの映像と曲は挿入されていない。(第3シリーズのシトシトピッチャンは入っている)

少年時代に食い入るように観ていたTVドラマだ。
だが、今改めて観ると、制作上のミスにも気づく。
その最大の?がこれ。

(裏柳生の総帥、原作の柳生烈堂)

原作劇画では、一刀との戦いで手矢を目に受けて列堂は隻眼となる。失明したのは左目。
ところが、TVドラマの第一作では、どういう訳か右目となっている。(烈堂役は大河ドラマで信長役を演じた高橋幸治)
これは時代劇ファンにとっては有名な逸話であるが、なぜ第1シリーズで右目負傷としたのか、今もって謎なのである。
第2シリーズ(烈堂/西村晃)と第3シリーズ(烈堂/佐藤慶)では左目となっている。

他にも刀剣マニアとしても、見逃せない点がある。
劇中で殺陣で使う刀は殺陣用の木製刀身に銀箔を貼ったものであるのは安全性を確保するための時代劇の定番だが、第1と第2シリーズのアップシーンでは真剣を使っていた。
主人公の元公儀介錯人拝一刀が愛用する刀は「胴太貫」。
これは、実は原作劇画の架空の刀である。
元々は九州肥後菊池の延寿の流れを汲む戦国時代の刀工群に「同田貫」という一派があり、原作ではこれにヒントを得て架空の「胴太貫」という頑丈な鉄をも切れる戦場刀を一刀の愛刀として設定したようだ。

原作の「公儀介錯人」という役職自体が実在しないのであるから、そこは創作でも大いに結構なのだが、原作では「山田朝右衛門」が登場する回の表紙トビラに胴太貫の銘を作画して載せてしまっている。
それによると「清水甚之進信高 胴太貫」とある。
中学生の時、これに一瞬騙された。ドウタヌキの作者は信高かと思った。
その後、同じ中学生の時に調べてみると、清水甚之進藤原信高は、尾張徳川家下に実在する利刀を作った刀工で、柳生連也の愛刀であることが分かった。そして、連也の愛刀には泰光代の作もあり、これは「鬼の包丁」と呼ばれる。
劇画『子連れ狼』では、拝一刀に倒される山田朝右衛門の愛刀が「鬼包丁」であり、一刀の胴太貫信高にしろ朝右衛門の鬼包丁にしろ、実在の人物柳生連也の差料からヒントを得ているようだ。
そして、柳生連也(厳包としかね)は柳生一門の歴史上最も達人であり新陰流五代宗家なのだが、劇画『子連れ狼』に照らすと「裏柳生」(実在しない)の系統である尾張柳生の宗家筋にあたることになる。
つまり、信高胴太貫を使う拝一刀も拝の討手となる山田朝右衛門も、言ってみれば裏柳生の総帥側の愛刀を使用していることになる。
まあ、創作だから、「分かる人はこの洒落が分かる」といったカルトクイズ的なネタなので、ここは突っ込むところではないと思ったりもする。エピソード的な裏小話だ。

TVシリーズの刀に話を戻す。
拝一刀を演じた萬屋錦之介は、長谷川英信流から昭和の時代に分派した夢想神伝流居合を明らかに学んだことが所作から見て取れる。
納刀法、帯刀法、歩き方(萬屋は爪先外歩きであるのに、拝役で箱車を押す時や帯刀して前進する時、絶対に外足にならない。まっすぐ爪先を前に、やや内気味に向けて体を進める)、すべてから居合道を習ったことが分かる。
その萬屋が演じる拝一刀が手にする「胴太貫」は、アップになるとよく分かるが、体配が九州同田貫のような幅広、直刃調のたれ、青みがかった地肌、延び気味の帽子、二筋樋を掻いた真剣刀身だった。
二筋樋は目に付くので、刀剣に詳しくない人でもすぐに見分けがつくだろう。
Nisuji
(二筋樋の刀身)

それが、第3シリーズでは、刀身の溝が棒樋に変わってしまった。
Katana
上:樋なし=若山映画版ではこのタイプ
下:棒樋=萬屋TV版第3シリーズはこのタイプ

これは一体どうしたことか。
『子連れ狼』シリーズは、主人公拝一刀の刀が極めて重要な位置を占める作品であるので、この変更には首をかしげざるを得ない。
しかも!
第3シリーズは、アップのシーンですべて土産物のような安物の模擬刀が使われている。ハバキも刀身のマチも段違いでガタガタな様子が大映しされ、実にチープだ。見る側としては、刀身のアップ画面に第1-2シリーズのような迫力をまったく感じられない。

刀剣の樋が何故あるのかというと、武器としての手さばきからだ。
「鉄道のレールのように断面積を増やしつつ強度を損なわないために考案された」というのはまったくの嘘である。鋼鉄の絶対量(容積)が多い方が構造物は絶対的に強い。
日本刀の刀身に樋を彫ったものは南北朝期に多い。日本刀の刀身の長さや形状は、歴史的な武器使用法の要求に沿って変化してきた。だから刀身を観ればどの時代の作か分かる。
鎌倉時代に元寇で元軍の革胴を切れなかったため、刀身を改良した結果重量が増した。操刀できない程重くなると武器として意味がないので、軽量化のために鎬地に溝を掘って全体重量を軽くしたのである。絶対的な強度は落ちる。

樋がある刀は振った時にドビューッというゴルフスイングのような大きな音鳴りがする。だから初心者が音色の違いで刃筋を確認するにはよさそうだが、厳密にはそれは樋音であって刃音ではなく、多少刃筋が狂っていても樋があれば音が出てしまう。本来は樋の
ない刀身でピュッという短く鋭い本当の刃音を確かめるのが正道だ。
刃筋がなぜ大切かというと、日本刀は切断物体に対して90度に刀身が接触しないと切れないので、その刃の横ブレがないように運刀する必要があるからだ。これを刃筋を立てると呼ぶ。
剣道高段者でも真剣で畳表半巻きさえ切れないのは、刃筋を立てることを知らないから刀身の横面で平打ちしてしまっているからだ。
これをやると日本刀は簡単に曲がる。もしくは折れる。
いくら鉄をも切れる鍛鋼であっても、あれだけ平べったく長く造形しているのが日本刀なのだから、横打ちしたら簡単に曲がる。

刃先から棟にかけて垂直90度の力がかかった場合、比類なき強靭性と切れ味を示すのが日本刀で、横方面や後方から打撃をくらうと、大抵の刀は折れる。折れない為には、よほど粘りのある地金を作り出すか、金属の絶対量を増やすしかない。戦国時代の九州同田貫や備前刀や大分の高田物の刀剣がナタの如き分厚さなのはそのためだ。

TV版『子連れ狼』の第3シリーズでの劇中刀小道具の使い方は、極めて残念だ。
しかも、最終話で、裏柳生の陰謀で刀を工作されて折れた一刀の胴太貫のアップの時、あまりにも細身の模擬刀刀身(当時、ドウタヌキの幅広刀身の模擬刀はなかった)なので、非常に薄っぺらに見えてしまう。う~む、残念。
柳生の草が研ぎ師に化けて一刀の刀を研いでいる砥石がまったく日本刀用砥石でなく、しかも素人が包丁でも研いだのか、真ん中が研ぎ減っていたのはかなり安直な演出だ。第3シリーズからは、それまでの時代劇の作風や時代考証を重要視しない製作者が加わって
製作したのかも知れない。
ザッツ・エンターテイメントと許容するには、主人公が愛用する刀剣が重要な意味を持つ作品においては、このような演出の安直さは疑問だ。
しかし、萬屋錦之介は胴太貫が折れた時とその後の拝一刀の呆然とした喪失感を素晴らしい演技でカバーしていた。

かくして、TV版『子連れ狼』は多くの人に親しまれた。
CMでのパロディも流行り、「三分間、待つのだぞ」は流行語にもなった。
海外でも人気を博し、北米南米西欧で放送された。
子連れ狼はTV視聴者の時代劇離れを食い止める社会現象ともなったが、国内での一番大きな変化は、ドウタヌキという言葉を一般の人たちも知ったことだった。そして、真剣の九州同田貫の価格が5~8倍にハネ上がった。
いろいろ整合性のない点も散見されるが、TV版『子連れ狼』は、エンターテイメントとしてみれば、優れた作品といえると思う。

ところが・・・
原作者の小池さんは何を思ったか、やってしまった。
2003年11月から「週刊ポスト」で、大五郎を主人公にした続編『新・子連れ狼』の連載が始まったのだ。
原作は第1作と同じく小池一夫だが、画は小島剛夕が2000年に他界しているため、森秀樹が担当している。
ところがですね。。。
『子連れ狼』も、主人公の役職自体が架空だし、裏柳生などというのも実在はしないし(尾張柳生は新陰流の道統の本流、江戸柳生は大名柳生家の本流)、時代的にも四代将軍~五代とみられるが、整合性のない話も出てきており、そこは架空の創作話なのでどうにか脇役については目をつむることができる。
山田朝右衛門吉継(1705年-1770年)や、幕末勘定奉行の榊原主計頭(1766年-1837年)が出てきたり等は、まだ本題通過点の登場人物なので許容ができる。

しかし!
登場人物のうち、準主役がまったく別な時代の人間だったら?
これはいくらなんでもやっちゃいかんでしょう?
でも、『新・子連れ狼』は、やらかしてしまったのです。
Shinkozure01

Shinkozure02

ざっと、『新・子連れ狼』のオープニングを説明すると・・・

(イ)江戸八丁河岸にて柳生烈堂と最期の戦いに倒れた拝一刀とそこに残された一子大五郎をまたま旅の途中で通りかかった東郷重位が発見する。
(ロ)川原に残された一刀の胴太貫を自分の差料の作者と同じと知った東郷は、一刀の胴太貫を自分の鞘に入れ、ピッタリ合ったことを天の啓示と受け取り大五郎を育てることを決意する。

ええと・・・(笑)
これは、いくらなんでも、どこから見てもやっちゃいかんでしょう?

まず、剣豪の大体の年表をまとめた図があったので拝借。
こんな感じ。

一番上の長谷川英信は私の流派の開祖だが、記録上は117歳も生きたことになっている。当時の医療状態を勘案しても、常識的に妥当とは考えられないことであり、現在は「英信二代二人存在説」が有力になっている。
さて、この図は幸い、拝一刀についてもまとめられていた。
劇画登場人物なので、生没年は推定だが、大体合っていると思う。
そこで、『新・子連れ狼』に出てくるジゲン流の開祖の東郷重位の実在人物の生没年はというと・・・
※東郷重位 永禄4年(1561年)-寛永20年6月27日(1643年8月11日)

もうね、何も、ここまで昔の人を出さなくてもいいだろう、という。
永禄3年が織田信長が今川義元を桶狭間で破った年だよ。その頃生まれた人だよ。。。
しかも、拝一刀本人が死亡した(と前作のあらゆる点から推定できる)年には東郷重位はとうに死んでいる。。。
というか、拝一刀が生まれた頃は、東郷重位が死んでから数十年後・・・。

ちなみに、実在の柳生義仙列堂の生存期間は1635年-1702年。
上の比較表の拝一刀の年齢は、原作劇画中に出てくる烈堂の台詞や各種墓石や塔婆に記された年号から逆算して推定したと思われる。

さらに、読んですぐに「あれ~?あれれ~?」と気づいたが、(イ)で示した「たまたま旅の途中」ってのは何なのだ。
江戸が大洪水になるやも知れぬの大騒ぎのため、柳生烈堂と拝一刀が一時手打ちして果し合いを延期した大災害で、しかも一刀との対決は江戸中の大名家中のみならず、将軍である公方様まで対決を固唾を呑んで謁見し、アブミを外す礼をもって柳生と拝の
武士同士の対決を見守っていたのに、のんびりと「たまたま旅の途中」で八丁河岸に寄ったですとぉ?
戒厳令に近い江戸の御府内で?
あり得へんがな・・・
最初の設定からして無理がある。
第一、東郷はその時代にはとうに死んでいる人物だし。
(というのを千歩譲って差っ引いても、情景設定に無理があり過ぎる)

そして(ロ)。
や、やめてくれ~。
折れた刀を鞘に入れてピッタリと合った?と。
そりゃ折れてりゃどんな刀でも大抵の鞘には収まるがな。
しかも、東郷の鞘はでかいんだし。
それに、ハバキまで同じ厚みだったと?
「鯉口を切る」のはなぜか、原作者理解しているのだろうか。
反りについては折れた刀だからどうにか合うとしても、鯉口までピタリと合うの皆無に近い。0.5ミリサイズが違っていても合わない。
日本刀は外装含めてすべて寸法違いのオーダーメイドだから。
逆に言えば、だからピタリと合ったから「運命」を感じたのかも知れないが、反りと鯉口寸法どちらに転んでも、現実的にピタリと合う刀装具というのは、まずあり得ない。

この出だしからして安直で荒唐無稽な作りなのだが、話が展開していくに従い、とめどもなく正当時代劇路線から度外れて行く。
幽霊や妖怪がストーリーのカギを握ったり、地底世界を探検したり・・・
あまりの荒唐無稽な空想冒険活劇ぶりに、「これは子連れ狼ではない」と、だんだん読むのが辛くなってきて、連載途中で読むのを一切停止した。小島剛夕版『子連れ狼』と世界観が違いすぎるのだ。
出てくる人物にしても、間宮林蔵ってのは何だよ、あれ。
もうね、時代むちゃくちゃ。
東郷重位といえば、柳生但馬守宗矩(永禄8年=1565年~正保3年=1646年)と同世代の人。つまり烈堂の父親の時代の人なのよ。
辛いわぁ、この漫画。
『魔界転生』じゃないんだから。トホホ。

改めて、多少の突っ込みどころはあっても、TV版『子連れ狼』とその原作劇画『子連れ狼』が秀逸な作品であったことを再認識したのでした。
それと、下手に続編作ると、前作の名作が台無しという典型例でしょうかしらね、『続・子連れ狼』は。
(おしまい)


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