(私の小説・映画レビューはネタバレ前提ですのでご注意ください)
『ネプチューンの迷宮』
(佐々木譲著/新潮文庫/2011年2月5日発行/
初出は1993年毎日新聞社刊行)
(帯コピー)
~直木賞作家の傑作冒険小説~
クーデター勃発!
南国の島を部隊に繰り広げられる国際謀略
<あらすじ>
赤道直下のポーレア共和国支配権をめぐって企てられた国際的陰謀。大統領派と反大統領はが激しく対立。
その渦中に元海上保安庁特殊救難隊隊長の宇佐美が巻き込まれた。南国の小さな島を部隊に繰り広げられる謀略と陰謀の嵐!(解説・池上冬樹)
<読書中感想>
長いのである。
本編は743ページにわたる。原稿用紙にしておよそ1200枚という膨大な大作だ。
だが、この作品は、序章を除き、たった一日の出来事を描いた作品なのだ。
文体は、文学作品として私自身がどうしても好きになれない体言止めを多用している。
体言止め自体は別段どうでもないのだが、やはり連続多用すると文調が薄っぺらに感じる。
ポイントを見定めて巧みに用いれば軽快さと緊張感をかもし出すエッセンスとなるが、大抵体言止めを多用する著述者はそれをしておらず、無思慮に連発しているフシがある。
(不思議なことに女性が書く文章に特に多い)
体言止めの連発多用は、文壇では「下品である」とされている。
傭兵物長編作品というと、どうしてもフレデリック・フォーサイスの『戦争の犬たち』と比較してしまう。
私はあれを超える傭兵物作品に未だ出会ったことがないが、名作がそこにあるからこそ、作家は筆のふるい甲斐があるのではないだろうか。
熊谷達也あたりが、もし傭兵物を書くとしたら、とてつもなく壮大で人心の機微を捉えた面白い作品が書くだろうと思うのだが、熊谷氏は別系統の分野の作品群に属するのが何ともファンとしては歯がゆい思いがする。
小説家の仕事とは、構成力を以って臨むストーリーテラーとしての力量だけでなく、文体や文調という筆力が圧倒的決め手になる。
熊谷氏の作品がいくらプロットや文体で人の心を捉える力があるとしても、分野違いの戦争物を期待するのは、ファンの我侭というものだろう。
(注:熊谷氏は小説すばる2007年12月号に発表した『聖戦士の谷』において、アフガニスタンなどの紛争地取材で活躍するフォトジャーナリスト長倉洋海氏の著書から表現などを無断で使用するという剽窃行為を行い、これにより、同作品の連載が打ち切りになるという事件があった模様)
本『ネプチューンの迷宮』は、構成と構想において目を引く発案があるが、いかんせん文体が文学作品として馴染めない。ただし、構成はかなり良い。
冒頭に旧バナバ(英名オーシャン)島民のあいだに歌いつがれた民謡(この歌の内容が本作品の思想性の背骨となる重要な意味を持つ)を掲げ筆者が翻訳を試みる等、緻密に計算された丁寧な作り込みの作品である。
それだけにその緻密さと相反する軽佻な体言止め連発の表現方法が文体に軽薄さを付与させてしまうのが惜しい。軽薄な文体によって彩られた小説は、プロットのアイデアだけが売りのようになってしまうからだ。(高橋源一郎のように文法と文列を意図的に無視して
日本語の既成概念を崩す破壊的文体を採る作家は別次元の問題。彼のその手法は極めて計算ずくであり、彼の言葉の渦は射程と命中率を見切って撃ち出す機関銃の弾丸なのだ。だが、私は彼が本当は芥川賞を取りたかったというのを個人的に知っている)
本作品は通常の傭兵物ではなく、「傭兵から攻撃される側」の視点を描いている。さらにその傭兵を雇ったのが日本政府、その理由が南国の小さな島を丸ごと原発から出た核廃棄物の廃棄場とするための謀略、という設定は斬新である。(現実世界では1980年代初頭に画策されたことなのだが)
作品の舞台の架空の国、ポーレア共和国
太平洋に浮かぶ架空の小国なのであるが、作品中の地図から、その地形は隣国のナウル共和国を参考に、南北の軸線を変えないまま地図を左右反転させたものであることが判明する。道路まで一緒である。
(実在のナウル共和国)
(地図左右反転)
こうした手法は、フォーサイスの名作『戦争の犬たち』でも使われている。
『戦争の犬たち』では、アフリカ中央部の架空の国家ザンガロの首都クラレンスの地形が作品中に詳細に記されている。
傭兵たちがその地形のどこにどうやって何のために部隊を分散して上陸させたか等を克明に把握して作品を深く読み込むためにも、作品中の地形の把握は作品ファンの読者としては欠かせない。
この手の作品は、流し読みをしていては、作者がポイントとする点(大抵のケースは作品のテーマにつながる描写を伴う)や、作品で重要な幹となる「布石」を見落としてしまうことになる。
私は、『戦争の犬たち』においては、作品の中で記された架空国家ザンガロの国内の地名と地形をもれなくノートに書き出して地図を描いた。
そして、フォーサイスが現実世界で赤道ギニアのクーデターに関与した痕跡をたよりにアフリカ地図を検証して、作品中の架空都市の首都クラレンスの地形と酷似した実在の町を見つけた。
それはやはり赤道ギニア、その首都マラボだった。
(クリックで拡大)
この「クワガタ虫の角」のような地形の両端に部隊を進めて主人公キャット・シャノンことキース・ブラウンは1970年にザンガロに上陸して攻めて行った。作者フォーサイスは赤道ギニアの地形をモデルに『戦争の犬たち』を書いていたのだった。
実在の町マラボは英国人によって「ポート・クラレンス」と名づけられていた。
現実の赤道ギニアは、小説のように傭兵部隊による民主政権獲得とは程遠い歴史を刻み、1979年にマシアス・ンゲマ政権はクーデターにより崩壊するが、ンゲマ治世の末期には、「赤道ギニアはアフリカのアウシュビッツと化した」といわれるほど、政権の残虐性が世界に露呈した。その拠点である首都マラボは、まさに恐怖の象徴であったという。
79年のクーデターによりマシアスは処刑され、甥のテオドロ・ンゲマが独裁者となるが、現在に至るまで強権支配体制が敷かれている。
こうした作者の下敷きを探り出す作業は、いわゆる現代のアニメファンが行う「聖地巡礼」のような作業だ。
だが、込み入った小説や推理小説、戦争物を読む(字面を「見る」のでなく「読む」こと)には、多少手がかかっても(記憶力等が優れた人はメモなどいらないだろうが)、こうした作業はやって損はない。
戦争物や推理小説では時間と行動、地形と地図=位置の把握がとても重要になってくるので、作者は読者に時間と位置を読み取る技量を試してくる。コアな小説ファンは作者からの挑戦を受けて立ち、作者が作品中で記している「点と線」を探し当て、さらには作者が隠している埋設物までも探し当てる。
私は特別に集中したい作品以外は小説は平行して何冊かを併読する。
この作品も、今野敏『ビギナーズラック』、熊谷達也『勘違いのサル 日本人の貌(かお)、作家の貌(かお)』と平行して読んでいる。
『ネプチューンの迷宮』は、読後にさらにレビューしたいと思う。
ちなみにネプチューンとは、調べたら、イタリア神話のネプトゥーヌスの英語読みであり、ギリシア神話でいうポセイドンのことらしい。
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小説『ネプチューンの迷宮』
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